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今回は、この数カ月に読んだ生と死に関する本をご紹介します。


グレイザー & ストラウス著、木下康仁訳『死のアウェアネス理論と看護〜死の認識と終末期ケア〜』、医学書院、1988年


内容

 生と死を考える本は、いろいろあります。なぜなら、私達が生きていくこと自体が生であり、死は常に生と表裏一体的に寄りそっているからです。
 「死を考えない」という人がいますが、私は物心ついた時からずっと大切な人達の死を想像するたびに、やるせない思いに苛まれてきました。保育園の頃、心臓病で亡くなった同級生がいました。周りの子ども達は葬式に出るともらえるお菓子にはしゃいでいましたが、私はもういなくなったその子に会えないのが悲しくて、1人で沈んでいたのを覚えています。
 死はいつ訪れるかわかりません。だから逆に、今やれることは全力でやらなければと、生き急ぐ傾向があるのかもしれません。

 さて、最初にご紹介するのはグラウンデッド・セオリー・アプローチの古典です。7月末に博士論文一人合宿第一部に区切りをつけ、さあ8月はどうしようと思った時に、やはり修正版ではなくグラウンデッド・セオリー・アプローチそのものの勉強が必要だろうということで、この本を読まないわけにはいかないと、遅まきながら手にとりました。
 この本は、社会学者のグレイザーとストラウスが、アメリカの病院でフィールドワークを行いながら、終末期医療の現状をあぶり出すことがねらいです。
 そこで、有名な「週末認識」の4タイプが明らかにされています。間近に迫った患者の死をスタッフは知っていても、患者自身は知らない「閉鎖」認識。自分は死ぬのではないかと患者は疑っているのに、まわりの人々は彼が疑念を抱いているのを知りつつも、あえてそれを打ち消そうとする「疑念」認識。患者の死がもはや避けられないことを本人もスタッフも共に知っているのに、お互いに知らないふりをする「相互虚偽」認識。そして、患者の死がもはや避けえないことをスタッフ、患者双方が知っていて、かつ、双方がそれを行為により認めあう「オープン認識」。
 どの章も、説得力に満ちており、社会学の研究ってこうやるのかということを教えられる、社会学研究者の必読文献だと思います。
 

目次

第I部 序論
 第1章  終末認識の問題
 第2章 死の予期の多様性:社会的提議の問題

第II部 死の認識文脈の諸タイプ
 第3章  「閉鎖」認識
 第4章  「疑念」認識:コン卜ロールをめぐるかけひき
 第5章  「相互虚偽」の儀礼ドラマ
 第6章  「オープン」認識のあいまいさ
 第7章  終末認識の不完全状態

第III部 終末認識をめぐる諸問題
 第8章  終末の直接告知 他
 第9章 事実を知らない家族
 第10章 事実を知った家族
 第11章 「もうすることがない」:回復不能の問題
 第12章 「もうすることがない」:安らぎの問題
 第13章 週末認識と看護婦の落ち着き

第W部 結論
 第14章 「アウェネス理論」の実践的活用
 第15章 認識と社会的相互作用の研究




木慶子著『悲しんでいい〜大災害とグリーフケア〜 』、NHK出版新書、2011年


内容

 ある日本屋に行ったら、大震災関連の本のコーナーができていました。いまだに津波の映像を見ると気分が悪くなる私は、心身の状態に自信がなく、被災地に足を運ぶことができません。それでも、何かしなければ、せめて状況を知らなければと、手に取った本がこの本でした。
 まるで砂が水をしみこむように、この本は私の感受性にしっくり馴染み、心地よく、癒されていくのがわかりました。木先生の心根が、活字を通して伝わってくるようでした。そして、同じ喪失体験でも実は病気と大震災では異なる性質があることも知りました。
 今、全国の学校で震災ボランティアが奨励されていますが、ボランティア希望者や教員にぜひ読んでいただきたいのは、「ボランティアの心得」(p.200〜)です。活動中はくれぐれもセルフケアに気をつけること、現場では相手のニーズに合わせること等々が分かりやすく書かれてあります。決して、単位のためでなく、自分だけのためでもなく、ボランティアは続けられなければなりません。

 ボランティアに行くこともできない私が書くのは何ですが、ぜひ、行かれる方は事前準備を怠りないよう、お願いしたいと思っています。その際に、まずこの本を読むことをお勧めします。


目次

  第1章 「癒しびと」なき日本社会
   第2章 心の傷は一人では癒せない
  第3章 弱っている自分を認める勇気――悲しみとのつきあいかた
  第4章 「評価しないこと」と「口外しないこと」――悲しみへの寄り添いかた
   第5章 老若男女、それぞれの喪失体験
   第6章 小さな希望でいい―三つの言葉と三つのモットー―
   終章  ほんとうの復興のために




大野更紗著『困ってるひと 』、ポプラ社、2011年


内容
 
 今度は視点を生に向けましょう。何も言わずに、とにかくこの本お勧めです。
 たぐいまれなる難病を罹った難病女子の大野さんの状態は、お尻が溶け出し、全身どこもかしこも痛く、感染症リスクが高く、皮下は炎症と石灰化、24時間365日インフルエンザみたいな高熱と倦怠感に苛まれ、筋力がなく、紫外線が浴びられず、白内障の症状もある、という超エクストリーム(これは大野さんの口癖)な状態です。
 その一方で彼女は、エクストリームに賢く、そして文章がうまいのです。まだ20代半ば。上智大学大学院でビルマの研究を行い、将来はビルマ研究者になる夢を持っていた大野さんは、自分の置かれている状態をユーモアで包みながら相対化するのが、とんでもなく上手なのです。そりゃあ、2カ月で11万部も売れるわけですね。
 難病を患った人がどんな医療を受けているのか、どれほど大変な生活をしているのか、そのなかにあり福祉制度の使いにくさや日本の福祉の貧しさが、ヒシヒシと伝わってきます。
 慢性疾患女子の私など足元にも及ばない苦労をしているにも関わらず、どこかに確実な希望を持って生きる大野さんの姿が、なんとも清々しく、強く勇気づけられました。「私ごときの病気でくじけてはいけない。とにかく生きられるだけ生きるんだ!!」と、決意を新たにしました。
 この本は、福祉・医療に携わる全ての人に必ず読んでもらいたいです。なので、来年度、学生の課題図書に加えることにしましょう。
 


目次


はじめに 絶望は、しない──わたし、難病女子

第一章   わたし、何の難病?──難民研究女子、医療難民となる
第二章   わたし、ビルマ女子──ムーミン少女、激戦地のムーミン谷へ
第三章   わたし、入院する──医療難民、オアシスへ辿り着く
第四章   わたし、壊れる──難病女子、生き検査地獄へ落ちる
第五章   わたし、絶叫する──難病女子、この世の、最果てへ
第六章   わたし、瀕死です──うら若き女子、ご危篤となる
第七章   わたし、シバかれる──難病ビギナー、大難病リーグ養成ギプス学校入学
第八章   わたし、死にたい──「難」の「当事者」となる
第九章   わたし、流出する──おしり大逆事件
第十章   わたし、溺れる──「精度」のマリアナ海溝へ
第十一章 わたし、マジ難民──難民研究女子、援助の「ワナ」にはまる
第十二章 わたし、生きたい(かも)──難病のソナタ
第十三章 わたし、引っ越す──難病史上最大の作戦
第十四章 わたし、書類です──難病難民女子、ペーパー移住する
第十五章 わたし、家出する──難民、シャバに出る
第十六章 わたし、はじまる──難病女子の、バースデイ

あとがき


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