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今回は、お世話になった尾崎新先生の3冊の御本を紹介します。

尾崎新編『「ゆらぐ」ことのできる力~ゆらぎと社会福祉実践』、誠信書房 、1999年

内容

 2010年10月1日に、立教大学の尾崎新先生が亡くなられました。尾崎先生には、本当にいろいろとお世話になりました。ここでは、これまでの尾崎先生との思い出を綴ってみます。
 まだ私が医療ソーシャルワーカーだった頃、先生の御本に出会いました。臨床に根ざした独自の視点で書かれた本はとても新鮮で、臨床のなかで思い悩むことが多い私の感覚にフィットしました。
 その後、東京に移り住んだ私に、初めて尾崎先生にお目にかかれる機会が訪れたのです。東京社会福祉士会の研修委員会に入り、その年の継続研修の講師を選定している時に、「尾崎先生にお願いしたい」という私の意見が通りました。そこで、まずお手紙を書き、立教大学の先生を訪問する機会を得ました。ところが、以前から尊敬していた先生を前にして、私は緊張でカチンコチンに固まってしまい、上手に話が出来ませんでした。そんな私に対して先生は、「一度帰って、何がしたいのかを手紙に書いて送って下さい。それからお引き受けするかどうか検討します。」と言われました。そして「ソーシャルワーカーの悩みやジレンマについて話し合える研修を行っていただきたい」という手紙を書き、ようやく講師をお引き受けいただけました。

 そして継続研修が実現しました。研修終了後はいつも中野で打ち上げを行い、私も先生に言いたいことを言っていたので「君は僕を批判した3人目の人間だ」なんて言われたこともありました。なぜだか、いつも近しさと反発心が同居した心情で、先生と接していました。
 数年経ち、再び私が先生とお会いしたのは、立教大学での社会福祉学会の折でした。実習教育の分科会で座長をされていた先生にご挨拶に行き、再びいろいろと話をするようになりました。そして、「一緒に実習の研究をしようか。まずはざっくばらんに話す場を持とう」ということになり、他大学の先生も含めて数回、少人数での集まりを持ちました。その時私は、「先生と一緒に研究共同体のような集まりを作りたい」と、生意気にも話していました。きっといつか、一緒に実習についての本を執筆しようという夢も持っていました。
でも、その夢は実現せず、こんなにも早く突然に、先生は亡くなられてしまいました…。
 今でも、先生と話したことや先生の御本の内容は、私の講義を通して学生達に伝えています。先生の強烈な存在感も、ずっと忘れないことでしょう。尾崎先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します。

 この本のタイトルにもある『「ゆらぐ」ことのできる力』は、臨床の機微を捉えたその抜群なネーミングによって、多くの臨床家に受け入れられた概念だと思います。「援助者の『ゆらぎ』とは、援助者の感情や判断が動揺したり、迷う姿、あるいは援助の見通しのなさに直面したり、自らの無力さを感じたりする状態」(p.ⅱ)とされています。
 特にこの本のなかで秀逸なのは「第1章 『共感』について―『わからなさ』と『他者性』に注目して」(松本史郎著)です。筆者がハンセン病療養所で実習を行うなかで、「援助者」としてゆらぎの過程を克明に描いています。修士論文を基にして書いたということで、尾崎先生の指導のたまものという感じがしました。
 他の章も、看護師、保健師、実習指導を行う教員等々、多様な立場で「ゆらぎ」の実像を描いており、興味深い1冊です。



目次

序章 「ゆらぎ」からの出発―「ゆらぎ」の定義、その意義と課題
第1章 「共感」について―「わからなさ」と「他者性」に着目して
第2章 「ゆらぎ」と私のインターフェース
第3章 癌ターミナル期家族のゆらぎと援助者のゆらぎ―ゆらぎの分析と活用
第4章 保健婦の成長と「ゆらぎ」の体験―「ゆらぎ」を受けとめ、表現する力
第5章 「ふりまわされる」ということ―援助関係における一つの「ゆらぎ」に注目して
第6章 「共に生きる」という関係づくりとゆらぎ
第7章 実習教育と「ゆらぎ」―学生と教員のスーパービジョン関係について考える
第8章 社会福祉の共通認識をつくる―福祉教育実践における「ゆらぎ」
第9章 「時代と社会福祉実践、そして「ゆらぎ」―「幅」「軸」「多様性」に注目して
第10章 ソーシャルワーク実践における曖昧性とゆらぎのもつ意味
終章 「ゆらぐ」ことのできる力―「ゆらぎ」を実践に活用する方法



尾崎新著『対人援助の技法―「曖昧さ」から「柔軟さ・自在さ」へ』、誠信書房、1997年

内容

 援助者のスタンスと援助関係について、多様な角度から論述された本です。
 特に印象的なのは、「指導」「お世話」「主体性の保障」の違いについてです。
 「指導」は、「援助者がクライエントに知識や意見を提供することを目的とし、援助者がクライエントに対してどちらかといえば指導的立場をとる関わり方である」(p.50)。「お世話」は、「援助者がクライエントの抱える困難を理解し、クライエントを支持ないし保護しようとする関わり方である」(p.50)。「主体性の保障」は、「クライエントが援助において主体性や責任性を発揮することを重視する援助者の関わり方である」(p.51)。
 相談援助の場面だけでなく学生と接している時に、「私は今どの関わり方をしているのだろう」と、ふと考えることがあります。きっとそれはどれが良い・悪いということではなく、ケースバイケースで使い分けられることが大切なのでしょう。
 「スタッフの緊張とメンバーの緊張とは密接な関連をもっていると考えられる。なお、援助者は自分の緊張や不安を解消しようとして、メンバーに積極的な発言を求めたり、発言を順番に促したりして、グループの活気を高めようとすることがある。しかし、これはやめたほうがよい。」(p.187)という文章の余白に「私の講義と同じ!」というコメントが書き込んでありました。本を読んだ13年前の新任大学教師の時代に、やはり共感を持って読んでいたのでしょう。
 きっと、対人援助職であれば、どこかしら共感できる1冊なのだと思います。


目次

第1章 援助における曖昧さ・無力感と「全能感幻想」
第2章 援助者の「自然体」について
第3章 援助と「大きなお世話」の相違について
第4章 理解と判断
第5章 共感と対等
第6章 質問と伝達の技術
第7章 グループと集団の相違について
第8章 グループの発達について
第9章 グループの発達とそれを促す技術




尾崎新著『ケースワークの臨床技法―「援助関係」と「逆転移」の活用』、誠信書房、1994年

内容

 援助関係と転移・逆転移が主題の本です。転移とは「クライエントがかつて経験した感情や経験、また自分に向けている内的感情を援助関係に投影すること」で、「クライエントの対人関係の歴史や特徴、また内的感情を理解する資源であり、臨床診断や援助の方向を検討する上で貴重な資料であるといわれる」。一方逆転移とは「援助関係の中で、援助者に生じる感情や反応」であり、「従来、これらの逆転移は、いずれも援助関係やクライエントを混乱させるので、抑制するか制御することが望ましいとされてきた。しかし、援助者が援助関係の中で以上のような感情をもつことは不自然ではない。『なんとかしてあげたい』『苦手だ』『できれば担当を避けたい』。このような感情を自然にもつこともあれば、そのような感情にかつて体験した人間関係や援助経験が投影されることもある」「逆転移は活用するという視点から検討すべきである」(pp.125-126)。この前書きが書いてある第Ⅲ部は、この本のオリジナルな部分であり、読む価値は大きいでしょう。
 第8章では逆転移の意識化の過程として、①クライエントの立場や心情から一旦距離をとる。②逆転移の視点を同定する。③そのときの主たる感情とは違う種類の視点をもつことが提案されています。(p.149 )
 私も今でこそ、ソーシャルワーカーと教師を20年以上経験して転移や逆転移に振り回されることはあまりなくなりましたが、臨床を始めた当初は振り回されることばかりでした。でも、この本を読むなかで、かなりスッキリと整理できる部分が多かったように思います。そのため、ぜひ、若手のソーシャルワーカーや対人援助に携わる人達(大学教員も含む)には、一読していただきたい1冊です。


目次

第Ⅰ部 ケースワーク臨床の特質と「ほどよい援助関係」
第1章 ケースワーク臨床の多様性―闘病記の検討を通して
第2章 ケースワーク臨床における援助関係の重要性
第3章 「ほどよい援助関係」
第Ⅱ部 援助関係の活用
第4章 援助関係の形成
第5章 援助関係の活用
第6章 援助関係の終結
第Ⅲ部 逆転移の活用
第7章 自覚しない逆転移
第8章 逆転移の意識化と活用
第9章 「自己覚知」から「自己活用」へ


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