それでも暴力はなくならない〜ある女性シェルターでの体験〜 本文へジャンプ
ここで紹介できる視察先の写真はありません。私の心の中の映像をのぞいては…。


 その日、私たちはある場所を訪れました。それは、ドメスティック・バイオレンスの被害を受けた女性たちのシェルターです。その時のツアーが女性ばかりだったため、コーディネーターさんがシェルターへの訪問を組み入れてくれたのでした。

 そのシェルターには女性ばかりではなく、子どもたちも一緒に暮らしていました。私たちは実際にドメスティック・バイオレンスの被害者であり、シェルターの支援者でもある女性から実体験に基づくお話を聞きました。

 彼女は1枚の紙を手に、話し始めました。最初は自分がいる場所はこの紙1枚分。そして彼と付き合い始めていき、どんどん自分の居場所が少なくなっていく。最初は友人と会うことを禁止される。彼女は紙を半分に破きました。
 どんどん付き合ううちに、ふとしたことをきっかけに、彼は暴力をふるうようになる。そして、家族と会うのを禁止される。そしてまた紙を半分に引き裂きました。
 彼の暴力は日に日にエスカレートし、しまいには家族に電話することも許さなくなってくる。でも、暴力をふるった後には決まってプレゼントをくれる。『殴られることもあるけれど、この人は私のことを愛してくれているのだわ』と思っているうちに、4分の1の紙は8分の1になり、16分の1になる…。 
 気がついたら自分の居場所が無くなっている。加害者の男性は、女性の生活も心もコントロールしてしまうのです。

 そしてまた、母親が父親から暴力をふるわれている現場を見てきた傷ついた子どもたちがいる。時には、自分自身も暴力をふるわれながら…。
 そのシェルターに入っている子どもたちが、一定の年齢になり自立できるようになると、シェルターを出る儀式をします。ネイティブ・アメリカンの人々が成人を祝う儀式の時に子どもに授けるお守りを渡しながら、『あなたは悲しいこと、辛いことを沢山経験したけど、あなたには素晴らしい価値があるのです。どんな場所にいても、あなたは自分を大事にしながら生きていく力を持っているのですよ」と伝えながら。

 でも、最後に彼女が語っていた言葉には救われました。「世界を変えることはできない。相手を変えることもできない。でも、種をまくことはできる。少しずつ良くなっていくように…」。

 とても重たい話に、私はまたしても涙してしまいました。スウェーデンでは1978年からスタートしたシェルターが、全国で130箇所もあるのです。性暴力外来もあり、暴力を受けた女性のケアをしています。そして日本と同じように、なんら特別ではない男性と女性が暴力の加害者であり、被害者でした。
 そして、一番の被害者はやはり子どもです。ただ愛情だけを注がれる子ども時代を過ごせたら、どんなに幸せでしょう。いくら社会保障が充実していたとしても、やはり暴力が起きるという哀しい人間の現実がありました。
 せめて、少しでも哀しい思いをする人が減るように、私には何ができるのだろうか…。大きな宿題をもらった日でした。
 


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